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TA研究部会創立30周年記念講演杉田峰康先生

2013年度はTA研究部会創立30周年にあたります。2月8日(土)には全国町村会館で2013年度第8回TA研究部会を開催しました。当日は大雪の中多数の皆様にお集まりいただき誠にありがとうございました。

当日は記念講演として日本交流分析学会理事長の杉田峰康先生に「日本人にとっての交流分析とは~歴史と展望を探る~」と題してご講演いただきました。

下記は、TA研究部会創立30周年記念講演会で杉田峰康先生(日本交流分析学会理事長)が講演された内容の要旨です。

日本人にとっての交流分析とは ~歴史と展望を探る~

 【交流分析~その歴史(日本交流分析学会を中心に】

1958年にエリック・バーンが紹介した心理学の理論はTAと称される心理療法の技法で、アメリカ社会で広く認知されました。その後、世界中で翻訳され、日本では九州大学医学部教授の池見酉次郎氏が、1971年に国際心身医学学会で出会ったオハーン教授(米国集団療法学会会長)を翌年の日本心身医学会に招待講演でお呼びし、さらに京都での医学心理療法研究会主催のTA講習会にてオブザーバーとして指導してもらったことが、TAの日本への最初の導入でした。

 これを機会に、1970年代前半、心療内科医によるTAの臨床活用への基礎が築かれ、さらに応用が進みました。この時、池見教授は医学界での活用と平行し、TA活用を市民の健康促進が目的となるグループを作りましたが、後に「セルフ研究会」に発展し、病院だけでなく学校、企業など他分野へもTAは浸透していったのです。 

1975年にはITAA(国際TA協会、米国カリフォルニア州)会長のデュセイ氏が来日、また同時期にTA学会設立の基礎作りが始まり、翌年5月に、日本交流分析学会が設立されるとともに第一回大会が行われ、九州大学心療内科が学会事務局をつとめました。(1983年から日大心療内科へ)

 当時、池見教授はTAについて、以下のような反応をされていました:TAは理論も技法も簡明で早く学習でき、実地に活用しやすい。患者は日常生活の中で多くの恩恵をこうむる、また、目的が症状を速やかに解消するにある、等を優れた面として認識していました。一方、米国式TAは当時のアメリカ式人生および社会を反映した哲学等をふまえた理論であることに違和感を感じていらっしゃったのです。それは、このような考えからでした:TAの自我構造では統合機能としてのAのあり方をチェックするものがない。現実の体験に埋没している自分を客観的に『観察する自我』が欠けているのではないか?というもの。さらにこの考えは、東洋式交流分析の構造分析につながります。それは、人間の存在の全体を表す一円相の中心に現実存在(実存)を示すS(全体を見つめる目)をもうけ、このSからそれぞれの状況に応じてP的、A的、C的な心が展開していく、といういわゆる「Sの概念の研究」でした。結果として日本独自の文化の中で「日本式交流分析」を生み、育てることになったのです。

【東日本大震災から交流分析を考える】

今回の大震災は、米国の9.11のテロと同様に、予測不可能な避けがたい出来事で、国境を越え、安定した社会生活の調和を妨げ、人間のQOL(Quality Of Life)に配慮せず、大量死、甚大な恐怖と限りない悲しみをもたらす新たなストレスのタイプとして、最近の心身医学では「誘発ストレス」と表現されます(心身医学、51巻4号、2011年)。その心理学的特徴は“明白な恐怖”(Lucid Fear)と不安定性(Uncertainty)を含む“明白なパニック”(Lucid Panic)とされています。これに対して心の世界の一部にすぎない自我(意識)では対応できません。精神全体の統合体としてのセルフの助けと支えを必要とします。

 わが国は長年にわたって災害の度に復活と再建に全力を傾けてきましたが、国民の内的性格(TAでいう文化脚本)に何が起きているかに気づかないでいた、と言えるかもしれません。これは他の国においても同じことです。予知不能という「誘発ストレス」が今後も続く限り、それは人間そのものへの脅威であり、国家的性格が自らの内面の危機に永久に直面する必要があるという要請ではないでしょうか。私どもは危機に対して新たな視点を提供する無意識、すなわち内面誘導因子としてのセルフについてさらに追及して参りましょう。



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